第20回修道会総会 教令 使命(ミッション) ユーカリスティア
1.第20回総会は、全会にわたしたちのユーカリスティアの生き方とその使徒的意義を深め、活性化するプロセスに入るように呼びかけます。
「ユーカリスティアは、根が樹木にとっての命であるように、修道会にとってのいのちである」4という深く、喜びに満ちた確信と、「諸民族が礼拝するようにキリストを顕示する」5ことへの限りない望みが、聖ラファエラ・マリア、マドレ・ピラールおよび初期の姉妹たちの基本的体験でした。
これこそはわたしたちの最も貴重な遺産であり、聖心侍女修道会の体の健康はここに掛かっています!
この樹木の生きた樹液が会全体を流れ、互いの関係に、仕事に、祈りに、時間の使い方に、誓願生活に、休息に、富の分かち合いに、沈黙に、失敗に、娯楽に・・・意義と力をあたえているかどうかを問うことが急務です。あるいは、反対に、この樹液の流れが、わたしたちの生活の中で、他の「優先すべきこと」や仕事の「緊急性」によって、どうにか忠実にはたすというわたしたちの生活における単なる実践にすぎないものとなっているのではないかを見直す必要があります。
聖ラファエラ・マリアのように礼拝する女性は、ただ単に「礼拝を行う」のではなく、自分の全生活を、沈黙のうちにあっても、また、喧騒のうちにあっても、神によって形つくられるように差し出し、そして自分を、すべての事において礼拝されるべき神の愛に委ね、神が内側から働き、わたしたちの全生活を照らされるままにします。そこから、「すべての人を引き寄せ、キリストを味わうことのできるように」6する創造性と努力が刷新され、「どのような犠牲を払っても」ユーカリスティアの変容する力が、この世界の最も必要としている遠方にまで届くための道具となるのです。
「主は必ず私たちを助けてくださる、それは主の義務でもあると信じる盲目的なほどの信頼を主において」7、このプロセスに入るにあたって、以下の恵みを主に願います。
*ユーカリスティアが過越の神秘であり、極みまでの愛の奉献であり、無条件の奉仕であり、兄弟愛の叫びであり、受容と赦しの祝祭であることを内的に感じ、味えることを。
*わたしたち自身とわたしたちが持っているもの、また苦しみのすべてをユーカリスティアのうちに捧げ、しばしば、「他の宝」に心を寄せることによって失われてしまった生活の統合(integración de vida)を取り戻ことを。
*「沈黙のうちに現れ出るわたしたち自身の中心としての神に出会うために」8、観想的側面を大切にすることを。
*わたしたちの使徒活動の真の効果と隠れた豊かさによって驚かされるままに身を放つことを。それは神ご自身がなさることであり、表立って「わたしたちは何もしていない」時に、神がなさるままに委ねることを。
*神に信頼して、絶えず「出て行き」、恐れることなく福音を伝えることにわたしたちの力を使い果たすほどに神を恋い焦がれることを。
*わたしたちが多くの人に食べるために与えられるパンとなり、キリストのパンとわたしたちのパンが渡されることによって増やされるように。
*心からの憐れみをもって、使命のための体を強める兄弟的絆を創り出し、ユーカリスティアから生まれる交わりを受け入れることができるように。
*「すべての人がキリストを知り、愛することができるように」9、今日、どのように、そして、どこに、キリストを民の礼拝として掲げることができるかを見出す創造性が照らされるように。
*礼拝をわたしたちの償いの使命に固有な表現として体験し、宣教者であり、使徒であることを充分に感じることができるように。
この遺産を守る者として、わたしたちが歩むプロセスは:
*ユーカリスティアへの情熱を再燃させ、創造性をもって世界にこれを伝達できるように、「源泉」である神ご自身と、本会のカリスマと歴史の源泉に近づき、わたしたちが生きている場とわたしたちの現実が照らされるようにする。
*このプロセスは、信仰の精神と識別の態度をもって、展開する。
*わたしたちのユーカリスティアの体験、すなわち、祭儀、礼拝、ユーカリスティア的態度について、傾聴と姉妹的探求の雰囲気のなかで、個人的、共同体的内省を促進する。
*わたしたちの使命を忠実に生きるために、経験、喜び、挑戦、困難を分かち合うよう努める。
*使徒的諸活動を巻き込んで、個人、共同体、管轄区のすべてのレベルで実行する。
*このプロセスは、共同体計画の見直しを通し、訪問の際には上級長上によって、中間期集会の間には、総長および全会によって評価される。
注4 会憲4、初期の文書
注5 霊的手記EE 1890
注6 霊的手記EE 1892
注7 会憲90
注8 第9回中間期集会 2014
注9 霊的手記EE 1880
ローマ2017 聖心侍女修道会総会