Ancillae Sacratissimi Cordis Iesu

“Come and See!” (Jn 1:39)


2016年9月10日のカテケシースから

読み上げられたペトロの手紙は、神の慈しみを語っています。神は御子イエス・キリストの流された血によって贖いを完成されたのです。「贖い」というようなことばは近頃耳にする機会が少なくなっているでしょう。しかしこれは、神が私たち人類と全被造界のために最も深いところで自由を示された原点なのです。今の人は、神の介入によって自由にされたとか、救われたと考えたくないでしょう。

聖ペトロは次のように書いています。

「あなた方が先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの贖いの血によるのです。キリストは天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。あなたがたはキリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。したがって、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」(Iペトロ1,18-21)

 

現代の人々は、自分の自由な力によってすべてを獲得することに意義を感じています。「私がしたいから、これをする、あれをするのだ・・・」と。しかし、自由の名のもとに奴隷になっていないでしょうか?偽りの自由の名のもとに新しい奴隷が次々に創られています。

私たちには、あらゆる形の無関心から、利己主義から、自己満足から自由になる必要があります。それは神がしてくださるのです。ペトロの手紙は私たちが呼びかけられてい る生き方をよく示しています。主イエスは人間の状況を自分の身に引き受けて、私たちの一人となられただけでなく、私たちが神の子として高められたものとして生きるようにしてくれるのです。イエスの死と復活によって、罪と死の鎖を破るためにこの世に来られたのです。

三つの素晴らしい言葉があります。赦し・愛・喜びです

人生にある試練、苦しみは私たちを十字架につけられたイエス・キリストにまなざしを向けるように招き、主が私たちのために苦しみを引き受け、決してわたしたちを見捨てないことを思い起こさせます。苦難や迫害や日常生活の中での苦悩にあっても決して神が慈しみをもって共にいてくださることを忘れないように!!神はそれを通して私たちを新しい命に導いておられます。

(MJK訳)

 

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