Ancillae Sacratissimi Cordis Iesu

使命

イエスのみこころへの償い(会憲2,3から)

 「私たちの修道生活への招きは、本会が創立者姉妹を通して教会から受けた使命に具体化されています。それはイエスのみ心への償いです。キリストは私たちを愛し、私たちのためにその身を渡されました。償いは、キリストの愛への応えであり、ユーカリスティアにおいて現実化される救いの神秘のうちで、主キリストとの交わりを通して実行されます。
私たちは、”人々が刺し貫いた御方”のみ心のうちに、神の慈しみの現れを観想し、希望をもってこの世を見つめるように導かれています。キリストは私たちを罪から解放し、神と和解させてくださいました。そのため、私たちは罪ある人類の一員であることを自覚し、贖いの無償の恵みに参与する者として、キリストと共に、キリストによって、キリストのうちに、人間相互と神との和解に協力したいと望んでいます。また、人間への奉仕に備えられた天地万物が神の栄光を顕すものとなるように働き協力したいと望みます。」(会憲2)

「私たちは、イエスのみ心への償いを、ユーカリスティアの秘儀に完全に参与することによって生きる道を選んでいます。ユーカリスティアの祭儀に中心を置いた私たちの使命は、次の特徴をもちます。

-キリストの現存に対する聖体礼拝
-福音化教育による使徒活動

 この償いの召命は、全存在をあげて神に奉献することを意味し、主の掟の証しとなる姉妹的共同体を通して実現されます。」(会憲2)

聖体礼拝1

現代社会における本会の使命

(第19回総会文書から 2012年)

〜主はわたしたちの会を変えておられる、賭けてみよう! 主に変えていただくままに〜

「私たちの世界は、まさに変化の真っただ中にある。私たちの生活と使命のうちに生じている変化、私たちを苦しめ、また活力を与える変化、私たちの歩みの方向を見失わせ、また新たな種々の可能性を開く変化にあって、私たちは常に神の現存と出会う。神は”神を愛する人々の善のためにすべてのものの中で働き”、私たちを変え、私たちをご自分の道具とされる。」

「神が私たちを招くこの深い変化のダイナミズムを意識し、これに従う必要を感じている。それは贖罪者としての召命を忠実に生きる要請であり、神ご自身と私たちが遣わされているこの世界の求めである。」

「私たちは自問する。私たちは本当に変わりたいのか?神が私たちに、本会に期待する変化とは何なのか?私たちには多くの抵抗があることを認め、聖霊に対して根本から開かれていることを表す”熟慮の上での決断”が必要である。聖霊によって動かされるままとなるとき、これらの問いへの応えを見出すに違いない。」

二つのキーワード: 謙遜と小ささ

kenson

私たちのこの望みは、神のお望みから来ている。”人を救おう”、これにマリアは”お言葉通り、この身になりますように”と応える。私たちも、神が痛みを感じられるなら、私たちも痛みを感じ、神が喜ばれるなら、私たちも喜ぶ。

人類の救いのために、ご自分を無とされる神のダイナミズムへの参加は、私たちも救いのために責任を負い、希望のみことばであるイエスに捧げるよう促す。

玉縄聖堂

聖心侍女の4つの思いと賭け(第19回総会 2012年)

  • カリスマ
  • 奉献生活
  • 交わりを生み出す女性
  • 若い人々との対話

1、「カリスマ」

「カリスマが私たちのうちで情熱となり、あらゆる痛みを抱きしめて、いのちが芽生え活気づくまま委ねよう」

―神がいのちの主人公であり、ご自分の子たちの痛みに心を動かされ、同情される。私たちは神の痛みを共にし、この現実を変容させる修復的贖いに、大胆に、具体的選択をもって参与するように呼ばれている。
―経済的覇権が引き起こすもの、市場関係、自然界の侵害、グロバリゼーション、女性の疎外と搾取など、数々の叫びがイエスに向けられている。

―神は、私たちがいのちを守り、擁護し、いのちのために闘うすべての人々の努力と一致して、連帯のうちに教育を促進し、人権を尊重し、正義、平和と自然界の完全性を守るように励ましておられる。
―私たちは、償いから芽生える教育法、すなわち、”心の教育学”を深める必要性を感じている。それは人間として、キリスト者としての成長の過程に同伴することである。それは一人ひとりが必要とする教育を探して適応することであり、堅固さと優しさを調和させ、小さな者と弱い者に特別に慈しみのまなざしを注ぐことである。

―イエスは償い、いのちを与える方である。人々がイエスに触れるようにすることは、彼らを助け、いのちの意義と充実感を得る方法である。
―ユーカリスティアの礼拝(聖体礼拝)には沢山の使徒的働きの可能性があり、ユーカリスティア(聖体)に近づく人々が個人的に愛されていることを感じる場となり、”より公平で兄弟姉妹的社会を建設するために働くための刺激”を見出す場となるように、礼拝の場を広げていきたい。

―カリスマは、すべてのひとのものとなるに従って、”私たちのもの”となっていくはずである。カリスマは、私たちを燃やす火であり、私たちの生き方から他の人々に伝わっていく情熱である。カリスマは、他の人々の生き方へ受肉していくべきものであり、人々を豊かにし、より普遍的なものとなっていくべきものである。このカリスマを分かち合うことによって、世界全体を包み込む網を編み、神がその御子を私たちに贈ってくださったいのちを豊かに伝えていく。

  • 「カリスマ」を生きるための振り返り:
  • 私は世界で生じていることの中で一番痛みを感じていることは何か?
  • 神が一番こころを痛め、心を動かされていることは何だろうか?
  • 貧しい人々に近づき、寄り添うために、私たちには何ができるだろうか?
  • ユーカリスティアと社会的責任の関連をどのように私たちは表せるだろうか?
  • 他の人々とどのようにカリスマを分かち合っているだろうか?
  • カリスマに生きるために私たちはいかなる方法を立てたらよいか?

2.「奉献生活」

「奉献生活をより徹底的に生きるために、イエスのみ心が関心を寄せておられることで私たちの心を満たし、”あなたが望まれることをそれがどんなことであっても、全力を尽くして望みます”との応えを毎日新たにしよう」

-私たちは奉献された女性、”キリストと一致することを求めて、キリストのそば近くに従う者である(会憲18)。
-私たちは、イエスのみ心に魅せられるものとなるままに委ね、イエスの思い、イエスの関心、イエスの計画を分かち合う者である。
-私たちは、神を夢中になって探し求め、神の子らのいのちのために働く者である。
-キリストへの燃える愛が私たちの生活のあらゆる面での中核であり、私たちの選択を方向づける。私たちが苦しみ、喜び、互いに関わり、時間を割き、様々な葛藤に立ち向かう仕方を貫き、そこで明らかにされるのはキリストへの愛である。
-私たちは、あらゆる状況にあっても愛に留まるために必要とする”霊的力”を得る助けとなる小道を一歩一歩進んで行きたい。

-私たちの生は”取り戻す余地のないもの”として捧げられたことを思い起こし、互いにこの奉献生活を徹底的に生きるために助け合う必要がある。
-私たちには、”イエスの関心事で心を満たしたい、それももっともっと”という思いが心に刻まれている。これを実現するためにはイエス・キリストとの祈りと使命、共同体での信仰の分かち合い、貧しい人々との友情において、個人的でパーソナルな関わりを育み大切にする必要がある。
-世界の変化は私たちの心に強い反響を与えている。私たちの奉献生活との一貫性をもってこの変化に対応するために、識別の努力が必要であり、それは捧げるための自由を保ち、キリストに一層よく従うよう私たちを導く。

-私たちは教会の一部分であり、教会には絶えず新しい形の召命が生まれ、私たちは他の多くの奉献生活者と使命を分かち合う者である。
-奉献生活者としての私たちのアイデンティティは、他の召命と補完的に表現されるものである。私たちはこのような状況を単純ささと喜びをもって生き、わたしたちに差し出される新しい道と種々の可能性に開かれたいと願っている。

-奉献生活の喜びの証は他の人々が神への渇きに気づき、それぞれの生活と世界の中にある渇きを認める助けとなる。私たちは、様々な多くの点で現代文化に対する”対立文化”となっており、それは私たちを今日の社会における”預言的しるし”としている。

-私たちの奉献生活が、喜びと深みとセンスをもって生きられるならば、疑いなく、”来て、わたしに従いなさい”とのイエスの招きを他の人々が聴く仲介となるに違いない。

  • 「奉献生活」を生きるための振り返り:
  • イエスの望みを私はどのように大切にしているか?
  • それが日々の生活の中でどのような選びの中に現れているか?
  • 私の奉献生活において自由を妨げているのは何か?
  • 自分と関わっている人々に、自分の奉献生活について何が語られるか?
  • 奉献生活に徹底するために、今、どのような方法が立てられるか?

3.「交わり」を生み出す女性であること:修道会の中で、教会の中で、世界の中で

「交わり(コミュニオン)は私たちのユーカリスティア(聖体)的生活から生まれるこの世での生き方である。聖心侍女として、現実の中にこの交わりを求め、それがないところに築き上げるように努力する。」

―交わりを生み出す者となるために、これを私たちの間で生きなければならない。共同体として生きる喜びを取り戻し、共に呼び集められたことを祝い、感謝して、互いにまことのいのちを生み出す場を提供し合わなければならない。いのちの深い交わりがあってこそ、私たちは使命のための”体”として派遣されうるのである。
-私たちの生活と使命における変化は、使徒活動と共同体と共同生活の仕組みの喪失との間に生じるリズムの多様性や区別を伴っている。私たちは共同体生活の真に本質的なことを探し求め、それを可能にする手段・方法を見出す必要性を感じている。

-私たちは互いに召命を大切にし合い、愛と信頼の絆を深め、神への忠実さと私たちに対する神の望み・ご計画への忠実さを保つために互いに助け合う自由を発揮していかなければならない。

―本会の中で、”主における真の友”を頼りにし、この友と私たちの生活を深いところで分かち合えることは重要である。そのために、私たちが互いに出会うことのできる場を自分の共同体の中で、また、年齢や感じ方や派遣されている使命の類似性・近さを考慮して、他の共同体の姉妹とも分かち合える場を探さなければならない。

-教会と修道生活は変化しつつある。私たちは皆、ミッシオ・デイ(神の使命)である一つの同じ使命の部分を担っていると自覚しなければならない。それぞれのカリスマに固有のものは私たちと分離させるのではなく、互いに補完しあうものである。謙遜になって、他の人と一緒に働ける新しい道がある。使命を生きる私たちのあり方は、ミッシオ・デイ(神の使命)を分かち合いたいと望むすべての人々と共に協力し、協働することである。

-私たちは教会に属する者として、教会の中の分裂や不和に、時には巻き込まれる状況に影響を受けている。信頼の欠如と多くの人々が疎遠になる状況を生み出すこの現実は、深い痛みである。私たちは教会の内側から和解のために働き、遠ざかる人々に近づき、一緒に歩める道を開きたいと望んでいる。

-私たちは、信徒と使命を共に分かち合い、彼らとの真の相互関係のうちに自分たちを位置付けて道を歩み続けたい。そのために信仰、祈り、探求、そして使命の養成と計画を共に行う必要がある。私たちは、相互信頼のうちに共に成長し、役割の交代や一人ひとりに委ねられる責任を受け入れることを前にして生じる抵抗に打克たねばならない。

-他の修道会や組織との、ネットでつながる多くの発案は、私たちを”より大いなる必要”のある状況に対して、連帯して応え、チームワークに加わり、私たち自身と私たちが持っているものを謙遜に提供し分かち合うよう招いている。
-国レベル、地域レベル、また地方レベルでの修道会連盟への参加は、互いに豊かになり、私たちの使命の視野を広げるために役立つ。

-世界と使命についてより広いヴィジョンは、エキュメニカルな教会相互および他宗教との協力を高め、聖なるものへの証とともに人権の分野でも共に証をたてるよう導く。また、それぞれの教派的信条を超えて、より正義で、より人間的な世界のために働くすべての人々と共に努力を分かち合うように私たちを開いてくれる。

-私たちの間でエコロジー理解の変化がみられる。エコロジーの理解は、よりグローバル
-私たちは、最も貧しい人々はもっと直接的に創造界と私たちの関連性についての誤った仕方の結果に左右されていることを意識するようになり、わたしたちの生活と使命をもっと統合させる挑戦を感じている。

  • 「交わりを生む女性」となることの振り返り:
  • 私はどのように関わり、交わる姿勢はどのようであるか?
  • 私の共同体生活の中で何がわたしに喜びを与え、あるいは妨げているか?
  • 私の現実において、ミッシオ・デイ(神の使命)のために、どのような人がいて、働いているか? 私はそれにどのように協力しているか?
  • 教会への所属を、私はどのように生きているか?
  • 私の世界について、また使命についてのヴィジョンが広げられるのは何によってと認識しているか?
  • わたしの日常生活において、創造界への配慮をどのように統合しているか?
  • これらにおいてどのような方法をとり、生きることができるか?

4.「若い人々」に近づく

〜若い人々が自分たちの中に神がおられることを認めて目覚め、人生の意義を探す彼らの探求に同伴し、イエス・キリストを見出すように助けること〜

-若い人々は、私たちを変化に近づけ、理解するように助けてくれる。彼ら自身が絶えざる変化の中で生きているから。若い人々との接触によって、私たちは自分の安住の場から離れ、慣習や偏見を捨て、現実のヴィジョンを広げることができる。若い人々の喜び、ダイナミズム、潜在能力の中に、私たちはいのちを創造し、祝う神を見出す。

-若い人々との対話に入るには、彼らの言葉遣いを理解し、彼らの関わり方、価値観を理解する努力が求められる。私たちは自分たちが慣れ親しんでいる場から出て、彼らのいる場に出て行き、彼らの現実と舞台に私たちが入るよう促される

-私たちの挑戦は、彼らの中により広い視野が開かれる問いを引き起こすことであり、人生の深い意義を探すように彼らを導き、神への渇きと神ご自身を見出すようにすることである。こうした探求に彼らを同伴するためには、霊性と、美と、貧しい人々との関わり織り合わせて彼らに差し出すことがよいと実感する。

-私たちの生き方と共同体は、若い人々に開き、彼らと出会い、彼らに耳を傾け、彼らと知り合うための場をつくり、時間をとるようになるとき刷新される。彼らを迎える時の単純さと感謝が、私たちの喜びの証と共に、彼らに私たちの召命を理解し、召命を考えさせる鍵となる。

-私たちは、イエス・キリストという宝に出会ったので、このことが、”すべての人がイエスを知り、イエスを愛するようにと言う大きな望み”を私たちの中に喚起している。
この迫る思いから、私たちは若い人々がイエスを見出すように助けたいと願っている。私たちの霊性にふさわしい手段、特に、聖体礼拝霊操霊的同伴より貧しい人々への奉仕、また、彼らが教会の体験ができるように諮ることも大事にしている。教会の体験は絆を生み、帰属意識を与えてくれる。

-私たちは、若い人々が自分の歴史の主人公として関わることを望んでいる。そのために、一人ひとりの探求のプロセスと召命の識別が多様化され、個別化されることが求められ、彼らの動機が明らかにされ、自由に選択できるように、一人ひとりが自分自身と出会い、イエス・キリストと出会うために実際に必要なことが提供されなければならない。

-私たちの感覚は常に目覚めていて、若い人々がどこにいて、何を探し、何に心を動かされ、何に魅了されているかを知らなければならない。彼らに同伴するためには、絶えず探し、精神と心を開き、新しい形、様式、手段を作り、彼らのなかに住まわれる神のうちにあって、彼らのより深い必要性に対する応えを得るように助けなければならない。

  • 若い人々との関わりの振り返り:
  • 若い人々がイエスを見出すように、わたしはどのように助けられるか?
  • 若い人々の言葉を理解するためにどのような努力をしているか?
  • 私たちの共同生活には若い人々とどのような関わりがあるか?
  • 共同生活が若い人々に開かれるためにどうすればよいか?

中間期集会 2014年、フィラデルフィアでの管区長の分かち合いより
〜2012年の総会以後の各管区の歩みを評価した気づき〜

フィラデルフィア2014

① Justice, Peace, Integrity of Creation

 「貧しい人々と大地は、もう一刻の余地もない深い痛みを訴えている」
このことを再確認し、特に以下の点から叫びにこたえるために何か行動するよう促された。
「貧しくならざるを得なかった人々、とりわけ、人身売買の犠牲となった女性とこどもたちの嘆き、また、荒廃した土地の嘆きを前に、世界的視点からの理解を深め、地域レベルで行動する。」
私たちにとって、「正義、平和、および創造の調和」についての考察は、聖体と償いのカリスマの中心にあり、イエス・キリストに対する信仰と貧しい恵まれない人々との関わりは切り離せないという確信を強めた。

② 奉献生活、交わり、共同体

教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』を分かち合い、私たちの喜びはイエス・キリストとの出会いからくることを確認し、この喜びは常にイエスとの出会いによって新たにされなければならないし、聖ラファエラ・マリアがどんな困難のなかにあっても喜びを失わず、奉献生活を続けられたのは、イエスが彼女の中心にいらしたからだった。
共同体生活の中で、私たちも互いに召命を育み、思いやりと深い抱擁を交わすものとなりたい。共同体における無条件の愛は、神の愛の深い体験から生まれる。
宣教に出掛ける経験は、私たちの共同体に弾みを与え、償いの召命を成長させてくれる。教皇フランシスコが「辺境の地に出向いて行くこと」をいつも呼びかけておられる声に応えたい。
共同体は基本的に、養成が継続される場である。真に共同体の建設に打ち込むならば、私たちは人間的にも、聖心侍女としても成長していく。

③ 初期養成

養成は、イエス・キリストとの個人的関係から、全体的な成長に向かう。養成のプロセスにおっける個別化と同伴は大切である。わたしたちは本会の生活に基本的な適性をもつ若い女性だけを受け入れるために、志願期に先立つ期間にもっと力点を置く必要性を感じる。もし、適正がないと分かれば、どんなに良い人物であっても、経過を引き延ばすことは勧められない。神からの呼びかけの体験の他に、共同生活に対する適性、奉仕の精神、観想、礼拝に対する能力がなければならない。
有期誓願の時期に最も必要なことは、道を歩き始めた修道者に同伴し、彼女が使命を自覚し、聖心侍女とはいかなる者であるかを知るための養成共同体を持つことである。

④ 本会のカリスマからの福音宣教

聖体礼拝と心の教育は、主が聖心侍女として福音を伝えるために与えてくださった賜物で、本会のカリスマの特徴を表す。
「人々をキリストの礼拝へと導くこと」、これは聖ラファエラ・マリアの主要な体験だった。
「心の教育」は、人間として、また、キリスト者としての成長を助ける過程で、その人に同伴することである。
(2014年11月10日 総長インマクラーダ深澤光代の全会員あての手紙より)

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