修道誓願

奉献と誓願(会憲より)

聖体礼拝1

キリスト者として洗礼により、私たちはキリストの姿を世に現すものであり、神の国をのべ伝えるために派遣されているが、さらに、与えられた召命の恵みにより、絶対的で撤回しえない方法でキリストに従い、共同体として貞潔・清貧・従順に生き、福音に生きるよう駆り立てられている。(会憲17)

償いの使命は私たちの奉献生活の中心にあり、キリストと一つになることを求め、主のそば近くに従う。(18)
エウカリスティアの祭儀の中で公式に宣立される誓願は、私たちを特別な方法で教会に組み入れる。(19)

貞潔

貞潔は私たちの心を自由にし、すべてをあげて神と兄弟姉妹を愛させる。貞潔は、主のそば近くにいて従うように招かれるキリストに、分かたれない愛をもって応える力を与える。(20)

この誓願に伴う放棄と、すべての人を愛し、彼らに仕えるために自由になる喜びのうちに、日々、過ぎ越しの秘儀に組み入れられる。(21)

神の賜物に対する自由な応えとして私たちが生きる貞潔は、私たちを未来の代のしるしとさせる。報いを求めない普遍的愛によって、私たちの生活は父の慈しみの表れとなり、人間を救われる神の愛を、人々が体験するよう導くものでなければならない。(22)

清貧

自分を空しくするまでに人々を愛されたキリストの愛に参与する貧しさのうちに、私たちはすべてを捨て、自由に、主に従うことを望む。(23)

自分自身の持ち物を、共同体と、さらに共同体を通してすべての兄弟姉妹と分かち合うことにより、私たち自身が共同体にとって一つの賜物となるように促される。清貧は、あらゆる所有・権力・名誉欲から解放されることを助け、生活と言葉をもって、人間相互の親しい交わりが可能であることを示す。(24)

キリストは貧しい人々と同じ姿となり、神の国の到来のしるしとして、よきおとずれを告げられた。私たちは主のみ心の思いと一致し、貧しい人々の叫びに敏感になる。その叫びは次のことを促す。
-私たちの考え方、態度を絶えず改めるように。
-どんな形のものであっても、社会的不正に組すると思われることを避ける。
-正義と福音、教会の要請に従い、社会の悲惨な状況に目を開く。
-謙遜に兄弟としての心をもって貧しい人々の現実に近づき、福音を悟らせてもらう。
-「最も小さな者の一人にしたことは私にしたことである」と言われたキリストをどのような貧しさの中にも見出すように。(25)

従順

父から遣わされたキリストは、不従順によって堕落した世界を従順によって贖われた。わたしたちは意志を自由に神に委ねるとき、自分を空しくされた神の子の贖いの業に参与する。(30)

霊の恵みに動かされ、私たちは、信仰をもって、長上のうちに人間仲介の秘儀を認め受け入れる。それは、「従う相手がだれであるかを見ることなく、すべてにおいて自分が従っているのは、主キリストに他ならない、と見る」からである。(31)

従順は、姉妹とそれぞれの共同体を、修道会という「体」に結ぶ一致の要因であり、神の国への奉仕のために、長上によって派遣される様々な職務や場所において、その使命を果たすことを保証する。(33)

イグナチオの霊性によれば、従順は神のみ旨を共に探すことを前提とする。長上および姉妹の各自は、識別および、いかなる求めにも応じる心構えをもって、使命を果たすために、主の救済の望みを見出すように努める。(34)

神のみ旨を探し、命じられたことを果たすために、積極的で責任ある従順は、誠実な、互いに創意を交わす対話、ならびに知性と意志、自然と恩恵のあらゆる賜物を用いることを求める。
日常生活と委ねられた使命の具体的事柄において、神のみ旨を見出し果たしていくために、時によって、共同体としての識別を行うことは助けとなる。(35)