Ancillae Sacratissimi Cordis Iesu

様々な「ことば」

★ テイヤール・ド・シャルダン

「地層をハンマーでたたいて調査するわたしには、ものごとの進化にはいかに 長い年月が必要かが分かっている。人間たちが真理に目覚めるための時間は、 それに比べれば短い・・・・」 「福音宣教」2008年8・9月号 p.50 『真理と自由、まことと恵み』光延一郎 記事より。

★ (マハトマ・ガンジー

「弱い者ほど、決して相手を赦すことができない。赦すということは、強さの 証だから」

★ (ユダヤのことわざ)

「何も打つ手がないとき、一つだけ打つ手がある。勇気を持つことである」

★ (マザーテレサ)

*「私たちはこの世では大きいことはできません。小さなことを大きな愛でする ことだけです」

*平和は願い求めるものではなく、つくるものであり、行うものであり、人のあり方に関するものであり、分けあたえるものなのです。(NCC「祈りつつ行動するための手引き」より)

「どうか平和への道を選んでください。短い間には、戦争の勝者と敗者がいるかもしれません。でも、決して、苦しみ、痛みは消えず、武器が引き起こす生活の損失を正当化できるものではありません」


★エレノア・ルーズベルト

平和は、それを語るだけでは十分ではありません。
それを信じなければならないのです。
でも、それを信じるだけでも十分ではありません。
そのために働かなければならないのです。

NCC 「祈りつつ行動するための手引き」より

フランクリン・ルーズベルトの妻であるエレノアは第26代大統領セオドア・ルーズベルトの姪(めい)である。

★ (シスター・ジョーン・チチスター)

抑圧や非人間化は神のイメージをゆがめる。

★ (教皇パウロ6世 1976.1)

賢明な非武装は、平和にむかってのもうひとつの武器である。

★  つもり違い十箇条

高いつもりで低いのが教養、低いつもりで高いのが気位。
深いつもりで浅いのが知識、浅いつもりで深いのが欲望。
厚いつもりで薄いのが人情、薄いつもりで厚いのが面の皮。
強いつもりで弱いのが根性、弱いつもりで強いのが自我。
多いつもりで少ないのが分別、少ないつもりで多いのが無駄。

ミラン・クンデラー(チェコ出身・作家)WAMだよりVol.3(06.07)

「記憶することこそが、民衆の武器である」

ボンフェッファー

「神への悔い改めは、隣人への悔い改めである」。

★  ニーメラー

「 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分は少し不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。

だから何も行動にでなかった。

次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、

社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。

それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、

それでもなお行動にでることはなかった。

それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。

だから立って行動にでたが、そのときはすでにおそかった。」

ニーメラー、マルティンhttp://www.wako.ac.jp/~michael/wiki/index.php?%A5%CB%A1%BC%A5%E1%A5%E9%A1%BC

★ Martin Niemoler
ドイツの神学者、プロテスタント?の牧師。ナチ・ドイツ時代に告白教会?Bekennende Kircheのメンバーとして抵抗運動をする。
・ ニーメラーの言葉から
Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Kommunist.
Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Sozialdemokrat.
Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen,ich war ja kein Gewerkschafter.
Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.
ナチが共産主義者を捕まえにきたとき、わたしは沈黙していた。わたしは共産主義者ではなかったからだ。
ナチが社会民主党員を逮捕したとき、わたしは沈黙していた。わたしは社会民主党員ではなかったからだ。
ナチが労働組合員を捕まえにきたとき、わたしは沈黙していた。わたしは労働組合員ではなかったからだ。
ナチがわたしを捕まえにきたとき、抗議してくれる者はもうだれもいなかった。
・ 年譜
? 1892年 1月14日生
? 1910年 ドイツ帝国海軍入隊
? 1918年 Uボート艦長となる。
? 1919年 海軍除隊後、ミュンスター大学?で神学?Theologieを学ぶ。
? 1924年 プロテスタント牧師の聖職につく。
? 1931年 ベルリン・ダーレム?Berlin-Dahlemの牧師となる。当初ナチを支持していたが、ナチの暴力支配を嫌い、対立する。
? 1933年 牧師緊急連盟?Pfarrernotbundの発起人となる。告白教会?Bekennende Kircheの活動をはじめる。
? 1934年 牧師の職を解かれ、説教を禁止される。
? 1937年 7月1日 逮捕され、ザクセンハウゼン?Sachsenhausen強制収容所?にいれられる。
? 1941年 ダッハウ?Dachau強制収容所?に移送。http://www.history.ucsb.edu/faculty/marcuse/projects/niem/niembkex.htm
? 1945年 アメリカ軍によってダッハウ?Dachau強制収容所?から解放される。        プロテスタント教会がナチに加担したことを認めるシュトゥットガルト罪の告白?Stuttgarter Schuldbekenntnisに名を連ねる。
? 1961年 世界教会評議会?Weltkirchenrateのメンバーとなる(1968年まで)。
? 1972年 アルベルト・シュヴァイツァー平和賞?Albert-Schweitzer-Friedensmedaille受賞。
? 1983年 オシエツキー賞?Ossietzky-Medaille受賞。
? 1984年 3月6日死去。
・ 関連サイト
・ Martin-Niem嗟ler-Stiftung公式サイト
? http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/NiemoellerMartin/index.html年譜の作成はこのページを参考にした。
? シュトゥットガルト罪の告白(ドイツ語全文)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%EB%A5%C1%A5%F3%A1%A6%A5%CB%A1%BC%A5%E1%A5%E9%A1%BCより
Martin Niemoller(ドイツのプロテスタント、ルター派神学者。1892.1.14〜1984.3.6)
ドイツのルター派神学者。第1次世界大戦に従軍し,潜水艦長として活躍。ウェストファリアのミュンスター大学で神学を修め,1924〜30年同大学学内 伝道にたずさわり,31〜39年ベルリン・ダーレムのルター派教会牧師となる。ヒトラーの教会支配に対する抵抗運動の指導者として活躍し,牧師緊急同盟の 結成を呼びかけ,告白教会の形成,バルメン宣言の成立にあずかって力があったが,逮捕されて,ダハウの強制収容所に送られる (1937) 。第2次世界大戦後解放されて,平和運動,ドイツ統一運動に尽力。ドイツ福音主義教会評議員,同外務局長。世界教会協議会会員。主著『Uボートから講壇 へ』 Vom U-boot zur Kanzel (34) ,『イエス・キリストは主なり』 Herr ist Jesus Christus (46) 。
(Copyright 2000-2003 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.)
ナチスが行った数々の弾圧を傍観し、自分たち神学者にその手が伸びるまで行動を起こさなかった事を悔やみ、下記の有名な言葉を残している。
はじめにやつらは共産主義者に襲いかかったが、私は共産主義者ではなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらは社会主義者と労働組合員に襲いかかったが、私はそのどちらでもなかったから声をあげなかった。
つぎにやつらはユダヤ人に襲いかかったが、私はユダヤ人ではなかったから声をあげなかった。
そして、やつらが私に襲いかかったとき、私のために声をあげてくれる人はもう誰もいなかった。
(原文:ドイツ語と英語)
<First they came for the Communists, but I was not a Communist so I did not speak out. Then they came for the Socialists and the Trade Unionists, but I was neither, so I did not speak out. Then they came for the Jews, but I was not a Jew so I did not speak out. And when they came for me, there was no one left to speak out for me.c
Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Kommunist.
Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Sozialdemokrat.
Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen,ich war ja kein Gewerkschafter.
Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.
【重要な追記】
元テキストには「弾圧」という言葉は使われていない。また、テキストには「ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた そして私は牧師だった だから行動に立ち上がった が その時はすべてが あまりにも遅かった」という言が添付されているヴァージョンのものもあるが、これを読んで「主流派キリ スト教教会組織全体がナチスに対して勇敢に抵抗し、そして弾圧された」と思うとすればそれは正しくない。実際には、カトリック・プロテスタントを問わず、 主流派教会組織はナチスと妥協することでその存在を保持したのであり、ナチスの「共犯者」として批判されることも多い。(「この妥協は弾圧を避けるためや むをえなかった」と擁護派が主張するのに対して、批判派は教会内の反共主義や反ユダヤ主義感情を強調している。)
抵抗したのは、ニーメラーのような真のキリスト教精神を持った一個人である。(こうした聖職者たちはナチス党員から暴力を振るわれ、また投獄・処刑された。)
Scroll Up